さっきテレビでネット・カウンセリングのことを放送していた。
それは僕をひどく不快にした。


僕は自分が異常な人間であると昔から思っていた。
それをなんとか糊塗しようとして勉強することによって文化の衣装を身につけ化粧をしてきた。
その防衛機制の心理の醜さを、そのテレビニュースによってあらためて自分に見せつけられたと思ったのだ。
そのニュース自体はさほど過激なことは語っていなかった。
しかし、人間の暗黒面、とりわけ僕自身のトラウマと重なり合う部分が
社会的公共的な場所の代表のようなNHKの放送に流された時、
自分のおぞましい隠しておきたいものが大勢の人のまえで暴露されたような気分になったのだ。


昨日ひさしぶりに渋谷のマンガ喫茶に行き、昔読んだ吉田秋生の『バナナフィッシュ』をざっと読み返した。
そこには一見おぞましいテーマが描かれている。幼児売春、レイプ、ストリート・ギャングの抗争、麻薬・・・
そして、それを読んだ僕は安心する。「人間とはなんとかわいいものだろう」
スタイリッシュな絵によって化粧された、人間の暗黒面。
これほど人間が単純だったら僕はどれだけ気が楽になることだろう。
人間が作り出した文化とは、生き物のように動く人間の心理のおぞましさ、暴力的な多様さから
人間を守る盾にすぎないと強く感じた。


こうした考えは、僕をひどく憂鬱にさせる。
文化とは、人間に内在している暴力性、それこそが人間の本性であるようなおぞましさから
人間を守るための防衛機制にすぎない、というニーチェの真理が僕の自我に突きつけられるからだ。
そして無論、こうした自分の心理をコモン・プレイスに書くこと自体が
セルフ・カウンセリングの役割をしか果たしていないことも、僕は意識している。